2018年2月5日月曜日

青ひげ その三・上




「ピノキオ」の作者カルロ・コッローディがシャルル・ペローの童話集(1695)をイタリア語訳したもの(1875)を、本邦の児童文学者楠山正雄の和訳(1950)と対置しました。意訳がされている箇所は、できるだけコッローディ版にちかくなるようになおし、語学の助けになるようにしました。






その三・上


 すると、その日の夕方、青ひげが、ひょっこり、うちへかえって来ました。それは、まだむこうまで行かないうち、とちゅうで、用むきが、つごうよく片づいた、という知らせを聞いたからだと、青ひげは話しました。だしぬけにかえってこられたとき、奥がたは、ぎょっとしましたが、いっしょうけんめい、うれしそうな顔をして見せていました。

 さて、そのあくる朝、青ひげは、さっそく、奥がたに、あずけたかぎをお出しといいました。そういわれて、奥がたがかぎを出したとき、その手のふるえようといったらありませんでしたから、青ひげは、すぐとかんづいてしまいました。
 「おや。」と、青ひげはいいました。「小べやのかぎがひとつないぞ。」
 「じゃあ、きっと、あちらのつくえの上におきわすれたのでしょう。」と、奥がたはこたえました。
 「すぐ持ってこい。」と、青ひげは、おこった声を出しました。
 五六ど、あちらへ行ったり、こちらへ行ったり、まごまごしたあとで、奥がたは、しぶしぶかぎを出しました。青ひげは、かぎを受けとると、こわい目をして、じっとながめていましたが、
 「このかぎの血はどうしたのだ。」といいました。
 「知りません。」と、泣くような声でこたえた奥がたの顔は、死人よりも青ざめていました。
 「なに、知りませんだと。」と、青ひげはいいました。「おれはよく知っているよ。おまえはよくもおもいきって、小べやの中にはいったな。えらいどきょうだ。よし、そんなにはいりたければ、あそこへはいれ、はいって、そこにいる奥さんたちのなかまになれ。」
 こういわれると、奥がたは、いきなり夫おっとの足もとにつっぷして、いかにもまごころから、くいあらためたようすで、もうけっして、おいいつけにはそむきませんから、といって、わびました。このうえもなく美しい人の、このうえもなく悲しいすがたを見ては、岩でもとろけ出したでしょう。けれど、この青ひげの心は、岩よりも、かねよりも、かたかったのでございます。
 「奥さん、あなたは死ななければならない。今すぐに。」と、青ひげはいいました。
 「わたくし、どうしても死ななければならないのでしたら。」と、奥がたはこたえて、目にいっぱい涙をうかべて、夫の顔を見ました。「せめてしばらく、おいのりをするあいだだけ、待ってくださいまし。」
 「しかたがない、七分半だけ待ってやる。だがそれから、一秒びょうもおくれることはならないぞ。」と、青ひげはいいました。
 ひとりになると、奥がたは、女のきょうだいの名を呼びました。
 「アンヌねえさま(アンヌというのは、きょうだいのなまえでした。)アンヌねえさま、後生ごしょうです、塔とうのてっぺんまであがって、にいさまたちが、まだおいでにならないか見てください。にいさまたちは、きょう、たずねてくださるやくそくになっているのです。見えたら、大いそぎでくるように、合図あいずをしてください。」


Barba-blu tornò dal suo viaggio quella sera stessa, raccontando che per la strada aveva ricevuto lettere, dove gli dicevano che l'affare, per il quale si era dovuto muovere da casa, era stato bell'e accomodato e in modo vantaggioso per lui.

La moglie fece tutto quello che poté per dargli ad intendere che era oltremodo contenta del suo sollecito ritorno.

Il giorno dipo il marito le richiese le chiavi: ed ella gliele consegnò: ma la sua mano tremava tanto, che esso poté indovinare senza fatica tutto l'accaduto.

"Come va", diss'egli, "che fra tutte queste chiavi non ci trovo quella della stanzina?"

"Si vede", ella rispose, "che l'avrò lasciata disopra, sul mio tavolino."

"Badate bene", disse Barba-blu, "che la voglio subito."

Riuscito inutile ogni pretesto per traccheggiare, convenne portar la chiave. Barba-blu, dopoi averci messo sopra gli occhi, domandò alla moglie:

"Come mai su questa chiave c'è del sangue?".

"Non lo so davvero", rispose la povera donna, più bianca della morte.

"Ah! non lo sapete, eh!", replicò Barba-blu, "ma lo so ben io! Voi siete voluta entrare nella stanzina. Ebbene, o signora: voi ci entrerete per sempre e andrete a pigliar posto accanto a quelle altre donne, che avete veduto là dentro."

Ella si gettò ai piedi di suo marito piangendo e chiedendo perdono, con tutti i segni di un vero pentimento, dell'aver disubbidito. Bella e addolorata com'era, avrebbe intenerito un macigno: ma Barba-blu aveva il cuore più duro del macigno.

"Bisogna morire, signora", diss'egli, "e subito."

"Poiché mi tocca a morire", ella rispose guardandolo con due occhi tutti pieni di pianto, "datemi almeno il tempo di raccomandarmi a Dio."

"Vi accordo un mezzo quarto d'ora: non un minuto di più", replicò il marito.

Appena rimasta sola, chiamò la sua sorella e le disse:


"Anna", era questo il suo nome, "Anna, sorella mia, ti prego, sali su in cima alla torre per vedere se per caso arrivassero i miei fratelli; mi hanno promesso che oggi sarebbero venuti a trovarmi; se li vedi, fa' loro segno, perché si affrettino a più non posso".







・bell'e accomodatoというようなことが仕事、事業について言われることはありません。bell'e fatto「できあがり、もうすませた」という言い方はよく使われます。

・il suo sollecito ritornoという言い方は現在ではあまりしないそうです。
   'Il suo ritorno è stato molto sollecito'.という言い方はできる。しかしむしろ、'facciamo un sollecito'さいそくしよう.のように、「催促」の意味の名詞で使われることが多い。また、'lettera di sollecito'(督促状、催促の手紙)などはよく使われる。'risposta sollecita'というと、やや文語的な教養のある表現となります。


・dipoiは「つぎの」(prossimo, seguente)という意味ですが、今は使われません。

・come va che... という言い方は現在されません。'com'è che...' 'come mai...'という言い方がされます。

・disopraは今日ふつうdi sopra とわけてつかわれます。

・traccheggiareは自動詞でぐずぐずする、他動詞で「ひきのばす、遅らせる」ということですが、現在あまり使われません。temporeggiareが自動詞のみで使われています。

・'lo so ben io' は「それは私がよくわかっている」という意味の北部の方言として残っています。

・pigliar postoはふつうprendere postoと現在言われます。

・'avete veduto'は現在ふつう'avete visto'といいますが、ナポリ方言では'ho veduto'という言い方もされるようです。

・macignoは大きめの石のことです。岩rocciaは表面が均されていない荒い石や岸壁のことですが、macignoはどちらかといえば川水でまるくなった石のおおきなものを指します。pietroneと言い換えることができます。

・diss'egliという言い方は古風です。

・mezzo quarto d'oraは一時間の四分の一のはんぶんということですが、quarto d'oraはいまもよく使われる一方で、こちらはまずつかわれません。

・a più non possoはいまではpiù veloce possibileという言い方になります。




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2018年1月28日日曜日

青ひげ その二・下





「ピノキオ」の作者カルロ・コッローディがシャルル・ペローの童話集(1695)をイタリア語訳したもの(1875)を、本邦の児童文学者楠山正雄の和訳(1950)と対置しました。意訳がされている箇所は、できるだけコッローディ版にちかくなるようになおし、語学の助けになるようにしました。







その二・下



 そのうちいよいよ、がまんがしきれなくなってくると、この奥おくがたは、もうあつまったお客にをそこにほおっておく失礼しつれいも、かまってはいられなくなって、ひとりそっと裏うらばしごをおりて、二ども三ども、すべっておっこちて首の骨をおるかとおもうほど、むちゅうでかけ出して行きました。


 でも、いよいよ小べやの戸の前に立ってみると、さすがに夫おっとのきびしいいいつけを、はっとおもい出しました。それにそむいたら、どんなひどい目にあうかしれない、そうおもって、しばらくためらいました。でも、ゆうわくのちからはとってもつよかったので、それをはらいきることは、できませんでした。そこで、ちいさいかぎを手にとって、風にふかれたはっぱのように、ぶるぶるふるえながら、小べやの戸をあけました。


 窓がしまっているので、はじめはなんにも見えませんでした。そのうち、だんだん、くらやみに目がなれてくると、どうでしょう、そこの床ゆかの上には、こりかたまった血がいっぱいにたまっていて、五六人の女の死がいを、ならべてかべに立てかけたのが、血の上にうつって見えていました。これは、みんな青ひげが、ひとりひとり、結婚けっこんしたあとで殺してしまった女たちの死がいでした。これを見たとたん、奥がたは、それはもうおどろいて、息もたえだえになってしまって、生きているのがふしぎなくらいでした。そうして、戸のかぎ穴からぬいて、手にもっていたかぎが、いつか、すべり落ちたのも知らずにいました。


 しばらくして、やっとわれにかえると、奥がたはあわてて、かぎを拾いあげて、戸をしめると、いそいで二階の居間にかけてかえって、きもちをおちつけようとしました。でも、いつまでも胸がどきどきして、いきがはずんでおさまらず、かおのいろもまっさおなままです。


 見ると、かぎに血がついているので、二三ど、それをふいてとろうとしましたが、どうしても血がとれません。いっしょうけんめい水で洗ってから、せっかいとみがき砂でよくよくこすってみても、いっこうにきえるようすがありません。それもそのはず、このかぎは魔法まほうのかぎで、よくあらうことができないのでした。ですから、おもてがわのほうの血を落したかとおもうと、それはうらがわに、いつか、よけいこく、にじみ出していました。



E non potendo più stare alle mosse, senza badare alla sconvenienza di lasciar lì su due piedi tutta la compagnia, prese per una scaletta segreta, e scese giù con tanta furia, che due o tre volte ci corse poco non si rompesse l'osso del collo.

Arrivata all'uscio della stanzina, si fermò un momento, ripensando alla proibizione del marito, e per la paura dei guai, ai quali poteva andare incontro per la sua disubbidienza: ma la tentazione fu così potente, che non ci fu modo di vincerla. Prese dunque la chiave, e tremando come una foglia aprì l'uscio della stanzina.

Dapprincipio non poté distinguere nulla perché le finestre erano chiuse: ma a poco a poco cominciò a vedere che il pavimento era tutto coperto di sangue accagliato, dove si riflettevano i corpi di parecchie donne morte e attaccate in giro alle pareti. Erano tutte le donne che Barba-blu aveva sposate, eppoi sgozzate, una dietro l'altra.

Se non morì dalla paura, fu un miracolo: e la chiave della stanzina, che essa aveva ritirato fuori dal buco della porta, le cascò di mano.

Quando si fu riavuta un poco, raccattò la chiave, richiuse la porticina e salì nella sua camera, per rimettersi dallo spavento: ma era tanto commossa e agitata, che non trovava la via a pigliar fiato e a rifare un po' di colore.


Essendosi avvista che la chiave della stanzina si era macchiata di sangue, la ripulì due o tre volte: ma il sangue non voleva andar via. Ebbe un bel lavarla e un bello strofinarla colla rena e col gesso: il sangue era sempre lì: perché la chiave era fatata e non c'era verso di pulirla perbene: quando il sangue spariva da una parte, rifioriva subito da quell'altra.







語彙



・guaio これは災難、やっかいごと、という意味ですが、現代では人がひきおこすことよりは、客観的な出来事のことについて使われていて、ややふるい語の使い方になっています。ただcombinare un guaio「災難をひきおこす」というような言い方はあります。in cerca di guai「トラブルを求めている」とも。passato un guaioといえば「災難だった」という意味。本文の per la paura dei guai, ai quali poteva andare incontroというような使い方は、高齢者ならするかもしれないが、ふつうはproblemiというでしょう。guaiには脅迫的な言い方で、guai a te se~「~したらただではすまないぞ」という言い方があります。

ナポリ方言では次のような表現もあります。
- 'Devi passare un guaio'「ただではすまんぞ」脅迫的な表現。'deve capitarti qualcosa di brutto'という意味です。
-'Sembra che hai passato un guaio' 「ずいぶんひどい目にあったような顔をしてるな」'Hai la faccia di chi ha avuto una brutta esperienza'という意味です。



・dapprincipio はじめは、もともと、という意味ですが、現在でもやや稀ながら使われます。all'inizioがふつうの言い方です。

・accagliareは凝固させる、accagliarsiで凝固する、という意味ですが、この言葉は現在チーズをつくる行程などをのぞくと、ほとんど使われません。

raggrumarsi凝固する、raggrumato凝固した、という表現は使われます。

・il sangue raggrumato  凝り固まった血(決まり文句で、こちらがつかわれます。)
・non fare grumi ダマをつくらないこと(牛乳など。例:attenzione a~.)
  そのほかに
   ・quagliare (ナポリ方言)かためる
 ・squagliare(イタリア共通語)とかす
  ということばもあります。

 'Ce la siamo squagliata'「逃げおおせた。」'scagliamocela'  「逃げようぜ」
 のように、溶ける→「すがたをくらます」、「逃げる」という言い方もあります。

・sgozzareのどをかき切って屠殺する、またはひとをころす、ということですが、いまは使われません。scannareは同様で南方方言でつかわれます。

・raccattare
は「拾い上げる」という意味ですが今は使われず、raccogliereといいます。床や地面だけでなくどのような位置のものでもよい。しかしraccattareのほうは現在、「すてられたものをひろう」というニュアンスのやや蔑んだ表現に使われます。それから、raccattapalle(テニスやサッカーでボールをひろう要員)というような言葉もあります。


・commossoということばは、現代では日本語の「感動」のように肯定的なことにつかわれ、このように「恐怖におののいていた」という意味では使われません。
・non trovava la via「方法がみつからない」=il modo

・in giro とは「そこここで」ということで、ここではqua e la「そこらじゅうに」とおなじ意味になります。現代ではよく、「世の中、外を」というような副詞的な意味で使われます。


Ha detto in giroいいふらした.いってまわった.
Ce n'è parecchio in giroたくさん出回っている

・pigliar fiato=prendere fiato 前者はまず使われません。

・rifare colore という表現はあまり使われません。rimettere un po' di coloreというような言い方になるでしょうが、「顔色がよくなる」ということにはあまり言及され
ません。riprendere coloreというふうに表現されることはあります。

・essendosi avvisto は「気がついて」ということですが、現在使われません(avvedersi)。現在ではaccorgendosiといいます(accorgersene)。

・un bel fare「よく~すること」という表現は現在あまりされません。(dare)una bella lavataという言い方はできます。

-fare una bella passeggiata「ゆっくり散歩する」はよく使われます。かわりにun bel camminareということもできますが、あまり一般的な言い方ではありません。
-una bella sfacchinataというと、大した骨折りだ、やれやれ、という意味。


・renaというのは砂sabbiaのことですが、この言葉はもう使われていません。たわしのような用途で、砂が使われていたようです。

・fatato=incantato魔法にかけられた、ということです。












2018年1月23日火曜日

青ひげ その二・上




「ピノキオ」の作者カルロ・コッローディがシャルル・ペローの童話集(1695)をイタリア語訳したもの(1875)を、本邦の児童文学者楠山正雄の和訳(1950)と対置しました。意訳がされている箇所は、できるだけコッローディ版にちかくなるようになおし、語学の助けになるようにしました。









その二・上


 すると、おくがたの知りあいや、お友だちは、お使を待つまも、もどかしがって、われさきにあつまって来ました。およめ入りさきの、りっぱな住まいのようすが、どんなだか、どのくらい、みんなは見たがっていたでしょう。ただ主人がうちにいるときは、れいの青ひげがこわくて、たれも寄りつけなかったのでございます。
 みんなは、居間いま、客間きゃくま、大広間から、小べや、衣裳いしょうべやと、片っぱしから見てあるきましたが、いよいよ奥ぶかく見て行くほど、だんだんりっぱにも、きれいにもなっていくようでした。
 とうとうおしまいに、いっぱい家具かぐのつまった、大きなへやに来ました。そのなかの道具どうぐやおきものは、このやしきのうちでも、一等りっぱなものでした。かべかけでも、ベッドでも、つくえや、ちいさな卓(たく)でも、頭のてっぺんから、足の爪つまさきまでうつる姿見(すがたみ)でも、それはむやみにたくさんあって、むやみにぴかぴか光って、きれいなので、たれもかれも、ただもう、かんしんして、ふうと、ため息をつくだけでした。姿見(すがたみ)のなかには、水晶すいしょうのふちのついたものもありました。銀や、金めっきをかけた銀のふちのついたものもありました。なにもかも、見たこともないほどにきれいで、おどろくべきものでした。
 お客たちは、まさかこれほどまでともおもわなかった、お友だちの運のよさに、いまさら感心したり、うらやましがったり、いつまでもはてしがありませんでしたが、ご主人の奥がたは、いくらりっぱなおへやや、かざりつけを見てあるいても、じれったいばかりで、いっこうにおもしろくも楽しくもありませんでした。それというのが、夫おっとが出がけにきびしくいいつけておいていった、地下室のひみつの小べやというのが、しじゅう、どうも気になって気になって、ならないからでございます。



Le vicine e le amiche non aspettarono di essere cercate, per andare dalla sposa novella, tanto si struggevano dalla voglia di vedere tutte le magnificenze del suo palazzo, non essendosi arrisicate di andarci prima, quando c'era sempre il marito, a motivo di quella barba blu, che faceva loro tanta paura. Ed eccole subito a sgonnellare per le sale, per le camere e per le gallerie, sempre di meraviglia in meraviglia. Salite di sopra, nelle stanze di guardaroba, andarono in visibilio nel vedere la bellezza e la gran quantità dei parati, dei tappeti, dei letti, delle tavole, dei tavolini da lavoro, e dei grandi specchi, dove uno si poteva mirare dalla punta dei piedi fino ai capelli, e le cui cornici, parte di cristallo e parte d'argento e d'argento dorato, erano la cosa più bella e più sorprendente che si fosse mai veduta. Esse non rifinivano dal magnificare e dall'invidiare la felicità della loro amica, la quale, invece, non si divertiva punto alla vista di tante ricchezze, tormentata, com'era, dalla gran curiosità di andare a vedere la stanzina del pian terreno.







語彙


・struggersiというのは(di...に)思い焦がれる、おもいなやむ、という意味です。文語的な表現。

struggersi d'amore 愛し焦がれる struggersi in pianto 涙にくれる(la repubblicà.it)
struggersi dal dolore 悲嘆にくれる struggersi di rivedere qlcu. 再会の思い
がつのる(小学館伊和中辞典)

・essendosi arrisicate di.. 「リスクを負う、あえてする」の意。  arrisicareは現在arrischiareといいます。
    risicareというトスカーナ方言もあるが、これは「虎穴に入らずんば虎児を得ず」
 
'Chi non risica non rosica.'『危険を冒さぬ者に儲けなし』
 
 のことわざでのみ使われる形。roscareのほうは、「1.かじる2.儲ける」。かじる、ということは「食べる」ということで、「食えるようになる」つまり「儲ける」の意に。

 さらに、rosicareは「嫉妬でいらつく」という意味のローマ方言が、ここ数年メディアを通じて使われるようになりました。ローマっ子か、テレビで時流を追っている人ならわかる表現だそうです。


・sgonnellare は女性が気取って動き回ることをいい、少なくとも元々はスカートをひらつかせる動作を伴ったものが考えられていました。現在使われる例は稀です。


・andare in visibilio は慣用句で、喜びや驚きで呆然とすることをいいます。やや文語的。
・mirarsi allo specchio は鏡で自分をみつめることですが、現在mirareは「(銃などで)狙う」という意味で使われ、「見る」という意味では使われません。rimirareは見とれる、という意味で今も使われます。rimirarsi allo specchio といえば、「鏡にみとれる」という意味になります。

・paratoはタペストリー、つづれ織りのことでarazzoともいいます。
 carta da paratiは壁紙のことです。

・rifinireはトスカーナ方言で「し終える」finire と同じ意味で使われましたが、現在ふつうは「なにかを精密に仕上げる」という意味で使われます。

・magnificare=lodare 「賛嘆する」という意味の文語的表現です。

・veduto/aはむかしvisto(vedereの過去分詞)と互換性がありました(どちらも使えた)が、現在は使われません。vedutaは「風景」という名詞として使われます。

・non~punto はトスカナ方言ですこしも~しないということです。 現在は使われません。

 non ci penso punto少しも思わない, non ne sono punto convintoぜんぜん納得しない, senza punto stupirsiちっとも驚かない, senza punto commuoversi一向に心を動かされない、など。







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2018年1月11日木曜日

青ひげ その一・下




「ピノキオ」の作者カルロ・コッローディがシャルル・ペローの童話集(1695)をイタリア語訳したもの(1875)を、本邦の児童文学者楠山正雄の和訳(1950)と対置しました。意訳がされている箇所は、できるだけコッローディ版にちかくなるようになおし、語学の助けになるようにしました。








その一・下


 それから、ひと月ばかりたったのちのことでした。

 青ひげは、ある日、奥おくがたにむかって、これから、あるたいせつな用むきで、すくなくとも六週間しゅうかん、いなかへ旅をしてこなければならない、るすのあいだは上機嫌にしていてほしい。なかのいい女友だちをやしきに呼んでもかまわないから、といいました。ひとくちに言えば、女王のようにして、そこらじゅうでぜいたくな宴会をひらくように言ったのでした。

 「ほら、」と、そのあとで、青ひげは奥がたにいいました。「これはふたつとも、わたしのいちばん大事だいじな道具どうぐのはいっている大戸棚おおとだなのかぎだ。これはふだん使わない金銀の皿を入れた戸棚のかぎだ。これは金貨きんかと銀貨をいっぱい入れた金庫きんこのかぎだ。これは宝石ほうせき箱のかぎだ。これはへやのこらずの合いかぎだ。

 さて、ここにもうひとつ、ちいさなかぎがあるが、これは地下室ちかしつの大ろうかの、いちばん奥おくにある、小べやをあけるかぎだ。戸棚という戸棚、へやというへやは、どれをあけてみることも、中にはいってみることも、おまえの勝手かってだが、ただひとつ、この小べやだけは、けっしてあけてみることも、まして、はいってみることはならないぞ。これはかたく止めておく。万一にもそれにそむけば、おれはおこって、なにをするか分からないぞ。」

 奥がたは、おいいつけのとおり、かならず守りますと、やくそくしました。やがて青ひげは、奥がたにやさしくだきしめると、四輪馬車に乗って、旅だって行きました。



In capo a un mese, Barba-blu disse a sua moglie che per un affare di molta importanza era costretto a mettersi in viaggio e a restar fuori almeno sei settimane: che la pregava di stare allegra, durante la sua assenza; che invitasse le sue amiche del cuore, che le menasse in campagna, caso le avesse fatto piacere: in una parola, che trattasse da regina e tenesse dappertutto corte bandita.

"Ecco", le disse, "le chiavi delle due grandi guardarobe: ecco quella dei piatti d'oro e d'argento, che non vanno in opera tutti i giorni: ecco quella dei miei scrigni, dove tengo i sacchi delle monete: ecco quella degli astucci, dove sono le gioie e i finimenti di pietre preziose: ecco la chiave comune, che serve per aprire tutti i quartieri. Quanto poi a quest'altra chiavicina qui, è quella della stanzina, che rimane in fondo al gran corridoio del pian terreno. Padrona di aprir tutto, di andar dappertutto: ma in quanto alla piccola stanzina, vi proibisco d'entrarvi e ve lo proibisco in modo così assoluto, che se vi accadesse per disgrazia di aprirla, potete aspettarvi tutto dalla mia collera."

Ella promette che sarebbe stata attaccata agli ordini: ed egli, dopo averla abbracciata, monta in carrozza, e via per il suo viaggio.





語彙


・in capo a un meseはdopo un mese「一ヶ月後」という意味で、現在は使われません。

・un affare di molta importanza という言い方は現在しません。di grande importanza という言い方になります。'per me ha molta importanza'というふうには言います。

・caso...(~の場合には)は、現在ではそのままでは使われず、in casoといいます。

・trattareはいまの使い方とは異なり、comportare(ふるまう)やsentirsi(そのように思う、感じる)という言い方になるでしょう。

・corte banditaは現在では使われない表現ですが、「中世諸侯のひらく宴会」のことです。あたかもそのように豪勢にふるまうように、と言っているわけです。

・コロン「:」のあとにcheという書き方は現在基本的にされません。(今日ならdisse a sua moglie,というふうに区切って、コロンのかわりにコンマを打つでしょう。)

・andare in operaという言い方は現在されません。使われるということです。

・guardaroba(m)の複数形が女性系になるのは古い表現でもう使われません。grandi guardarobaとなります。

・gioiaは宝石のことで、gioia「喜び」とは別の言葉です。今日は普通gioielloといいます
。
・finimentiは複数形で馬具という意味にもなりますが、美術品の装飾や、女性の装身具の意味にもなります。

・quartiereということばは、現在では町の区画の意味で使われます。この場合のように部屋の意味では使われません。ナポリ方言や古語ではquartinoを小さなアパートの意味で使います。

・chiavicinaは小さな鍵の意味ですが、いまではふつうにpiccola chiaveというでしょう。chiavettaという言い方もありますが、それほど使われません。chiavettaはUSBメモリ(フラッシュドライブ)の意味でよく使われます。

・essere attaccata agli ordiniは言いつけをよくまもるという意味ですが、現在ではこのような言い方はしません。eseguire gli ordini alla letteraあるいはrispettare gli ordini, non trasgredire gli ordini「命令にそむかない」という言い方をします。

・montare in carrozzaという言い方は現在もできますが、もちろん馬車が使われる場合は稀です。montare in moto「バイクにまたがる」といういう言い方もできますが、それほどしません。montareは動物の雄が雌と交配する意味にもなり、montaという言葉は、交尾を意味します。toro da monta種牛など。

・novelloは「新しい」という一般的な意味では現在つかわれませんが、sposi novelli「新婚夫婦」やこの場合のnovella sposa 「新婦」という言い方は残っています。








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2018年1月4日木曜日

青ひげ その一・上




「ピノキオ」の作者カルロ・コッローディがシャルル・ペローの童話集(1695)をイタリア語訳したもの(1875)を、本邦の児童文学者楠山正雄の和訳(1950)と対置しました。意訳がされている箇所は、できるだけコッローディ版にちかくなるようになおし、語学の助けになるようにしました。

イラストはデンマークのイラストレーター、カイ・ニールセンのもの。「青ひげ」は、全体に残酷さがあるペローの童話集に載っているものの、グリムでは第二版から削除されているためか、日本ではあまり有名ではありませんが、西洋では舞台化するなど存在感があり、学校でも教えられたりしています。







その一・上



 むかしむかし、町といなかに、大きなやしきをかまえて、金の盆ぼんと銀のお皿さらをもっていて、きれいなししゅうのあるイスやつくえと、それに、中も外も金ぴかの馬車までもっている男がありました。こんなしあわせな身分でしたけれど、ただひとつ、運のわるいことは、おそろしい青ひげをはやしていることで、それはどこのおんなでも、むすめさんもおくさんも、この男の顔を見て、あっといって、逃げ出さないものはありませんでした。

 さて、この男のやしきの近くに、身分のいい奥おくさんがあって、ふたり、美しいむすめさんをもっていました。この男は、このむすめさんのうちどちらでもいいから、ひとり、およめさんにもらいたいといって、この奥さんにたのみました。
 けれど、ふたりがふたりとも、むすめたちは、この男を、それはそれはきらっていて、おたがいにおしつけあって、逃げまわってばかりいました。なにしろ青ひげをはやした男と結婚するなんて、考えることもできませんでした。
 それに、胸のわるいほどいやなことには、この男は、まえからも、いく人か奥さまをもっていて、しかもそれがひとりのこらず、どこへどう行ってしまったか、ゆくえが分からなくなっていることでした。
 そこで、青ひげは、なかのいいあいだがらになるために、親子と三・四人の女ともだち、それから近所きんじょで知りあいの若ものたちを、やしきにまねいて、まる八日のあいだとめて、もてなしました。
 それは、まい日、まい日、野あそびに出る、狩かりに行く、釣つりをする、ダンスの会だの、夜会やかいだの、お茶の会だのと、目のまわるようなせわしさでした。夜よるがふけても、だれもねどこにはいろうとしませんでした。一晩中、みんなそこでもここでも、おしゃべりをして、わらいさざめいて、あそんでいて、それはそれは、にぎやかなことでした。
 そんなこんなで、なにもかも、とんとんびょうしにうまくはこんで、すえの妹が、このやしきの主人のひげを、もうそんなに青くは思わないようになりました。おまけに、りっぱな、礼儀れいぎただしい紳士しんしだとまでおもうようになりました。
 うちへかえるとまもなく、結婚式があげられました。



C'era una volta un uomo, il quale aveva palazzi e ville principesche, e piatterie d'oro e d'argento, e mobilia di lusso ricamata, e carrozze tutte dorate di dentro e di fuori.

Ma quest'uomo, per sua disgrazia, aveva la barba blu: e questa cosa lo faceva così brutto e spaventoso, che non c'era donna, ragazza o maritata, che soltanto a vederlo, non fuggisse a gambe dalla paura.

Fra le sue vicinanti, c'era una gran dama, la quale aveva due figlie, due occhi di sole. Egli ne chiese una in moglie, lasciando alla madre la scelta di quella delle due che avesse voluto dargli: ma le ragazze non volevano saperne nulla: e se lo palleggiavano dall'una all'altra, non trovando il verso di risolversi a sposare un uomo, che aveva la barba blu. La cosa poi che più di tutto faceva loro ribrezzo era quella, che quest'uomo aveva sposato diverse donne e di queste non s'era mai potuto sapere che cosa fosse accaduto.

Fatto sta che Barba-blu, tanto per entrare in relazione, le menò, insieme alla madre e a tre o quattro delle loro amiche e in compagnia di alcuni giovinotti del vicinato, in una sua villa, dove si trattennero otto giorni interi. E lì, fu tutto un metter su passeggiate, partite di caccia e di pesca, balli, festini, merende: nessuno trovò il tempo per chiudere un occhio, perché passavano le nottate a farsi fra loro delle celie: insomma, le cose presero una così buona piega, che la figlia minore finì col persuadersi che il padrone della villa non aveva la barba tanto blu, e che era una persona ammodo e molto perbene. Tornati di campagna, si fecero le nozze.




 語彙

・町といなかの大きなやしき
 今日でもvillaは田舎や海辺にあるもの、palazzoは町のなかにあるもの、という区別はあります。

・il qualeという代名詞は、話し言葉においては、主格ではあまり使われません。alla quale「それを」 dal quale「そこから」、per il quale「そのため」のような主格以外の形では今も使われます。文語(書き言葉)であれば使われています。

・piatterie は「食器類」という意味ですが、いまでは稀にしか使われません。
・mobilia 「家具類」もやや廃れた表現ですが、ammobiliare家具を備え付ける、のような表現は使われています。

・mobilia ricamataは現代イタリア語ではあまりしっくりこない表現だそうです。元の仏語の表現からしても、家具をつつむ布が刺繍されていたか、椅子の布の部分のことだと思われます。

・ per sua disgraziaとは現代ではあまり言いません。per sua sfortunaというほうが多いです。disgraziaという言葉は現代では「ひどいこと・惨事」という名詞でよく使われます。

・a gambeという言い方は現在されません。a gamve levate(飛ぶように、すたこらと)という表現がよく使われます。

・maritataという言い方は今日ではあまりしません。sposataといいます。
・むすめや妻(既婚者)という意味のことがいわれていますが、今日ではragazzaという言葉で独身女性を意味することはありません。zitellaが「女寡おんなやもめ」独身女性という意味で使われます。zitaもおなじ意味ですが、ベネトの方言です。

・vicinanteとは今日いいません。vicine(女性形)といいます。

・due occhi di soleはおそらく訳者の挿入した表現で、もとの仏語では「とてもきれいな」となっています。お星さまのようにきれいな、という意味でしょう。

・'Quella delle due' となっていますが、今日なら'quale'が「どちらか」の意味で使われます。

・se lo palleggiavano は比喩的な表現で、もとは球技のパスのことで、「おしつけあう」という意味です。

・risolversiは決断するということですが、それほど一般的には使われません。
・ribrezzoは現代では不快(=schifo,disgusto)反感(=repulsione)の意味で使われますが、ここでは恐れ、疑いというような意味です。

・fatto staは「こうして」「つまり」という意味です。
・relazioneという言葉は、現在ではもうすこし抽象的な意味だそうです。外交であったり、男女の肉体関係などには使われるが、この場合のようには言いません。現代ならconoscere meglioのような言い方になるでしょう。

・menareという言葉は、「捨てる」というような意味があったのですが、いまではローマ方言のスラングで「なぐる」という意味が現在では一般的になっており、本文のような「つれていく」という意味はもうありません。現代語ならportòやcondusseというでしょう。
・giovinotto(若者)は現代ではgiovanottoといいますが、それさえももうあまり使われないそうです。

・otto giorni interiという言い方はいまではせず、ふつうotto giorniにという形になるでしょう。un giorno intero, una intera giornata「一日中」はよく使われますが、八日というとすでに長いので、interoをつけることはされません。

・現在un mettere su とはあまり言わず、un organizzareのような表現になります。
・cèliaは現在使われていません。divertirsiとかscherzare「たのしむ」「ふざける」という意味です。今なら「ふざけあっていた」scherzavano fra loroというようになります。

・ammodoはa modoというわけた形で今でも使われます。「立派な」「品のいい」という意味です。
・buon piegaは「うまいぐあい」(buona direzione)という意味で、いまでも使われます。

・perbene(まじめな、品行方正な)は形容詞として、二語にわけたper bene(ちゃんと)は副詞として、一般的に現在では使い分けられています。

・tornare di campagnaとは現在言いません。 da campagnaになります。


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