2018年1月4日木曜日

青ひげ その一・上




ピノキオ」の作者カルロ・コッローディがシャルル・ペローの童話集(1695)をイタリア語訳したもの(1875)を、本邦の児童文学者楠山正雄の和訳(1950)と対置しました。意訳がされている箇所は、できるだけコッローディ版にちかくなるようになおし、語学の助けになるようにしました。

イラストはデンマークのイラストレーター、カイ・ニールセンのもの。「青ひげ」は、全体に残酷さがあるペローの童話集に載っているものの、グリムでは第二版から削除されているためか、日本ではあまり有名ではありませんが、西洋では舞台化するなど存在感があり、学校でも教えられたりしています。







その一・上



 むかしむかし、町といなかに、大きなやしきをかまえて、金のぼんと銀のおさらをもっていて、きれいなししゅうのあるイスやつくえと、それに、中も外もぴかの馬車までもっている男がありました。こんなしあわせな身分でしたけれど、ただひとつ、運のわるいことは、おそろしい青ひげをはやしていることで、それはどこのおんなでも、むすめさんもおくさんも、この男の顔を見て、あっといって、逃げ出さないものはありませんでした。

 さて、この男のやしきの近くに、身分のいいおくさんがあって、ふたり、美しいむすめさんをもっていました。この男は、このむすめさんのうちどちらでもいいから、ひとり、およめさんにもらいたいといって、この奥さんにたのみました。
 けれど、ふたりがふたりとも、むすめたちは、この男を、それはそれはきらっていて、おたがいにおしつけあって、逃げまわってばかりいました。なにしろ青ひげをはやした男と結婚するなんて、考えることもできませんでした。
 それに、胸のわるいほどいやなことには、この男は、まえからも、いく人か奥さまをもっていて、しかもそれがひとりのこらず、どこへどう行ってしまったか、ゆくえが分からなくなっていることでした。
 そこで、青ひげは、なかのいいあいだがらになるために、親子と三・四人の女ともだち、それから近所きんじょで知りあいの若ものたちを、やしきにまねいて、まる八日のあいだとめて、もてなしました。
 それは、まい日、まい日、野あそびに出る、かりに行く、つりをする、ダンスの会だの、夜会やかいだの、お茶の会だのと、目のまわるようなせわしさでした。よるがふけても、だれもねどこにはいろうとしませんでした。一晩中、みんなそこでもここでも、おしゃべりをして、わらいさざめいて、あそんでいて、それはそれは、にぎやかなことでした。
 そんなこんなで、なにもかも、とんとんびょうしにうまくはこんで、すえの妹が、このやしきの主人のひげを、もうそんなに青くは思わないようになりました。おまけに、りっぱな、礼儀れいぎただしい紳士しんしだとまでおもうようになりました。
 うちへかえるとまもなく、結婚式があげられました。



C'era una volta un uomo, il quale aveva palazzi e ville principesche, e piatterie d'oro e d'argento, e mobilia di lusso ricamata, e carrozze tutte dorate di dentro e di fuori.

Ma quest'uomo, per sua disgrazia, aveva la barba blu: e questa cosa lo faceva così brutto e spaventoso, che non c'era donna, ragazza o maritata, che soltanto a vederlo, non fuggisse a gambe dalla paura.

Fra le sue vicinanti, c'era una gran dama, la quale aveva due figlie, due occhi di sole. Egli ne chiese una in moglie, lasciando alla madre la scelta di quella delle due che avesse voluto dargli: ma le ragazze non volevano saperne nulla: e se lo palleggiavano dall'una all'altra, non trovando il verso di risolversi a sposare un uomo, che aveva la barba blu. La cosa poi che più di tutto faceva loro ribrezzo era quella, che quest'uomo aveva sposato diverse donne e di queste non s'era mai potuto sapere che cosa fosse accaduto.

Fatto sta che Barba-blu, tanto per entrare in relazione, le menò, insieme alla madre e a tre o quattro delle loro amiche e in compagnia di alcuni giovinotti del vicinato, in una sua villa, dove si trattennero otto giorni interi. E lì, fu tutto un metter su passeggiate, partite di caccia e di pesca, balli, festini, merende: nessuno trovò il tempo per chiudere un occhio, perché passavano le nottate a farsi fra loro delle celie: insomma, le cose presero una così buona piega, che la figlia minore finì col persuadersi che il padrone della villa non aveva la barba tanto blu, e che era una persona ammodo e molto perbene. Tornati di campagna, si fecero le nozze.




 語彙

・町といなかの大きなやしき
 今日でもvillaは田舎や海辺にあるもの、palazzoは町のなかにあるもの、という区別はあります。

il qualeという代名詞は、話し言葉においては、主格ではあまり使われません。alla quale「それを」 dal quale「そこから」、per il quale「そのため」のような主格以外の形では今も使われます。文語(書き言葉)であれば使われています。

piatterie は「食器類」という意味ですが、いまでは稀にしか使われません。
mobilia 「家具類」もやや廃れた表現ですが、ammobiliare家具を備え付ける、のような表現は使われています。

mobilia ricamataは現代イタリア語ではあまりしっくりこない表現だそうです。元の仏語の表現からしても、家具をつつむ布が刺繍されていたか、椅子の布の部分のことだと思われます。

per sua disgraziaとは現代ではあまり言いません。per sua sfortunaというほうが多いです。disgraziaという言葉は現代では「ひどいこと・惨事」という名詞でよく使われます。

a gambeという言い方は現在されません。a gamve levate(飛ぶように、すたこらと)という表現がよく使われます。

maritataという言い方は今日ではあまりしません。sposataといいます。
・むすめや妻(既婚者)という意味のことがいわれていますが、今日ではragazzaという言葉で独身女性を意味することはありません。zitellaが「女寡おんなやもめ」独身女性という意味で使われます。zitaもおなじ意味ですが、ベネトの方言です。

vicinanteとは今日いいません。vicine(女性形)といいます。

due occhi di soleはおそらく訳者の挿入した表現で、もとの仏語では「とてもきれいな」となっています。お星さまのようにきれいな、という意味でしょう。

'Quella delle due' となっていますが、今日なら'quale'が「どちらか」の意味で使われます。

se lo palleggiavano は比喩的な表現で、もとは球技のパスのことで、「おしつけあう」という意味です。

risolversiは決断するということですが、それほど一般的には使われません。
ribrezzoは現代では不快(=schifo,disgusto)反感(=repulsione)の意味で使われますが、ここでは恐れ、疑いというような意味です。

fatto staは「こうして」「つまり」という意味です。
relazioneという言葉は、現在ではもうすこし抽象的な意味だそうです。外交であったり、男女の肉体関係などには使われるが、この場合のようには言いません。現代ならconoscere meglioのような言い方になるでしょう。

menareという言葉は、「捨てる」というような意味があったのですが、いまではローマ方言のスラングで「なぐる」という意味が現在では一般的になっており、本文のような「つれていく」という意味はもうありません。現代語ならportòやcondusseというでしょう。
giovinotto(若者)は現代ではgiovanottoといいますが、それさえももうあまり使われないそうです。

otto giorni interiという言い方はいまではせず、ふつうotto giorniにという形になるでしょう。un giorno intero, una intera giornata「一日中」はよく使われますが、八日というとすでに長いので、interoをつけることはされません。

・現在un mettere su とはあまり言わず、un organizzareのような表現になります。
・cèliaは現在使われていません。divertirsiとかscherzare「たのしむ」「ふざける」という意味です。今なら「ふざけあっていた」scherzavano fra loroというようになります。

ammodoはa modoというわけた形で今でも使われます。「立派な」「品のいい」という意味です。
buon piegaは「うまいぐあい」(buona direzione)という意味で、いまでも使われます。

perbene(まじめな、品行方正な)は形容詞として、二語にわけたper bene(ちゃんと)は副詞として、一般的に現在では使い分けられています。

tornare di campagnaとは現在言いません。 da campagnaになります。


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