2018年1月28日日曜日

青ひげ その二・下





ピノキオ」の作者カルロ・コッローディがシャルル・ペローの童話集(1695)をイタリア語訳したもの(1875)を、本邦の児童文学者楠山正雄の和訳(1950)と対置しました。意訳がされている箇所は、できるだけコッローディ版にちかくなるようになおし、語学の助けになるようにしました。







その二・下



 そのうちいよいよ、がまんがしきれなくなってくると、このおくがたは、もうあつまったお客にをそこにほおっておく失礼しつれいも、かまってはいられなくなって、ひとりそっとうらばしごをおりて、二ども三ども、すべっておっこちて首の骨をおるかとおもうほど、むちゅうでかけ出して行きました。


 でも、いよいよ小べやの戸の前に立ってみると、さすがにおっとのきびしいいいつけを、はっとおもい出しました。それにそむいたら、どんなひどい目にあうかしれない、そうおもって、しばらくためらいました。でも、ゆうわくのちからはとってもつよかったので、それをはらいきることは、できませんでした。そこで、ちいさいかぎを手にとって、風にふかれたはっぱのように、ぶるぶるふるえながら、小べやの戸をあけました。


 窓がしまっているので、はじめはなんにも見えませんでした。そのうち、だんだん、くらやみに目がなれてくると、どうでしょう、そこのゆかの上には、こりかたまった血がいっぱいにたまっていて、五六人の女の死がいを、ならべてかべに立てかけたのが、血の上にうつって見えていました。これは、みんな青ひげが、ひとりひとり、結婚けっこんしたあとで殺してしまった女たちの死がいでした。これを見たとたん、奥がたは、それはもうおどろいて、息もたえだえになってしまって、生きているのがふしぎなくらいでした。そうして、戸のかぎ穴からぬいて、手にもっていたかぎが、いつか、すべり落ちたのも知らずにいました。


 しばらくして、やっとわれにかえると、奥がたはあわてて、かぎを拾いあげて、戸をしめると、いそいで二階の居間にかけてかえって、きもちをおちつけようとしました。でも、いつまでも胸がどきどきして、いきがはずんでおさまらず、かおのいろもまっさおなままです。


 見ると、かぎに血がついているので、二三ど、それをふいてとろうとしましたが、どうしても血がとれません。いっしょうけんめい水で洗ってから、せっかいとみがき砂でよくよくこすってみても、いっこうにきえるようすがありません。それもそのはず、このかぎは魔法まほうのかぎで、よくあらうことができないのでした。ですから、おもてがわのほうの血を落したかとおもうと、それはうらがわに、いつか、よけいこく、にじみ出していました。



E non potendo più stare alle mosse, senza badare alla sconvenienza di lasciar lì su due piedi tutta la compagnia, prese per una scaletta segreta, e scese giù con tanta furia, che due o tre volte ci corse poco non si rompesse l'osso del collo.

Arrivata all'uscio della stanzina, si fermò un momento, ripensando alla proibizione del marito, e per la paura dei guai, ai quali poteva andare incontro per la sua disubbidienza: ma la tentazione fu così potente, che non ci fu modo di vincerla. Prese dunque la chiave, e tremando come una foglia aprì l'uscio della stanzina.

Dapprincipio non poté distinguere nulla perché le finestre erano chiuse: ma a poco a poco cominciò a vedere che il pavimento era tutto coperto di sangue accagliato, dove si riflettevano i corpi di parecchie donne morte e attaccate in giro alle pareti. Erano tutte le donne che Barba-blu aveva sposate, eppoi sgozzate, una dietro l'altra.

Se non morì dalla paura, fu un miracolo: e la chiave della stanzina, che essa aveva ritirato fuori dal buco della porta, le cascò di mano.

Quando si fu riavuta un poco, raccattò la chiave, richiuse la porticina e salì nella sua camera, per rimettersi dallo spavento: ma era tanto commossa e agitata, che non trovava la via a pigliar fiato e a rifare un po' di colore.


Essendosi avvista che la chiave della stanzina si era macchiata di sangue, la ripulì due o tre volte: ma il sangue non voleva andar via. Ebbe un bel lavarla e un bello strofinarla colla rena e col gesso: il sangue era sempre lì: perché la chiave era fatata e non c'era verso di pulirla perbene: quando il sangue spariva da una parte, rifioriva subito da quell'altra.







語彙



guaio これは災難、やっかいごと、という意味ですが、現代では人がひきおこすことよりは、客観的な出来事のことについて使われていて、ややふるい語の使い方になっています。ただcombinare un guaio「災難をひきおこす」というような言い方はあります。in cerca di guai「トラブルを求めている」とも。passato un guaioといえば「災難だった」という意味。本文の per la paura dei guai, ai quali poteva andare incontroというような使い方は、高齢者ならするかもしれないが、ふつうはproblemiというでしょう。guaiには脅迫的な言い方で、guai a te se~「~したらただではすまないぞ」という言い方があります。

ナポリ方言では次のような表現もあります。
- 'Devi passare un guaio'「ただではすまんぞ」脅迫的な表現。'deve capitarti qualcosa di brutto'という意味です。
-'Sembra che hai passato un guaio' 「ずいぶんひどい目にあったような顔をしてるな」'Hai la faccia di chi ha avuto una brutta esperienza'という意味です。



dapprincipio はじめは、もともと、という意味ですが、現在でもやや稀ながら使われます。all'inizioがふつうの言い方です。

accagliareは凝固させる、accagliarsiで凝固する、という意味ですが、この言葉は現在チーズをつくる行程などをのぞくと、ほとんど使われません。

raggrumarsi凝固する、raggrumato凝固した、という表現は使われます。

il sangue raggrumato  凝り固まった血(決まり文句で、こちらがつかわれます。)
・non fare grumi ダマをつくらないこと(牛乳など。例:attenzione a~.)
  そのほかに
   ・quagliare (ナポリ方言)かためる
 ・squagliare(イタリア共通語)とかす
  ということばもあります。

 'Ce la siamo squagliata'「逃げおおせた。」'scagliamocela'  「逃げようぜ」
 のように、溶ける→「すがたをくらます」、「逃げる」という言い方もあります。

sgozzareのどをかき切って屠殺する、またはひとをころす、ということですが、いまは使われません。scannareは同様で南方方言でつかわれます。

raccattare
は「拾い上げる」という意味ですが今は使われず、raccogliereといいます。床や地面だけでなくどのような位置のものでもよい。しかしraccattareのほうは現在、「すてられたものをひろう」というニュアンスのやや蔑んだ表現に使われます。それから、raccattapalle(テニスやサッカーでボールをひろう要員)というような言葉もあります。


commossoということばは、現代では日本語の「感動」のように肯定的なことにつかわれ、このように「恐怖におののいていた」という意味では使われません。
non trovava la via「方法がみつからない」=il modo

in giro とは「そこここで」ということで、ここではqua e la「そこらじゅうに」とおなじ意味になります。現代ではよく、「世の中、外を」というような副詞的な意味で使われます。


Ha detto in giroいいふらした.いってまわった.
Ce n'è parecchio in giroたくさん出回っている

pigliar fiato=prendere fiato 前者はまず使われません。

rifare colore という表現はあまり使われません。rimettere un po' di coloreというような言い方になるでしょうが、「顔色がよくなる」ということにはあまり言及され
ません。riprendere coloreというふうに表現されることはあります。

essendosi avvisto は「気がついて」ということですが、現在使われません(avvedersi)。現在ではaccorgendosiといいます(accorgersene)。

un bel fare「よく~すること」という表現は現在あまりされません。(dare)una bella lavataという言い方はできます。

-fare una bella passeggiata「ゆっくり散歩する」はよく使われます。かわりにun bel camminareということもできますが、あまり一般的な言い方ではありません。
-una bella sfacchinataというと、大した骨折りだ、やれやれ、という意味。


renaというのは砂sabbiaのことですが、この言葉はもう使われていません。たわしのような用途で、砂が使われていたようです。

fatato=incantato魔法にかけられた、ということです。












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