2018年12月20日木曜日

フランチェスコ・グッチーニ






 ロベルト・ベッキオーニさんとフランチェスコ・グッチーニ(右)





今回は前回のフランチェスコ・デ・グレゴリに続いてもうひとりのフランチェスコさんについて書こうと思います。このまえ大家さんのところで聴いたロベルト・ヴェッキオーニという歌手のことを書きましたが、そこで扱った曲「Ti insegnerò a volare」(飛ぶことを教えよう)という曲は、ヴェッキオーニさんが引退していたもうひとりの歌手フランチェスコ・グッチーニさんを引っ張り出してきて一緒に歌った曲でした。


ですから私が最初にグッチーニさんの顔写真を見たのは、お年を召した最近のものでした。ところが、私がすでに動画サイトで聴いていた歌声は昔のもので、とても若々しいものでした。歌の調子も青春らしいもので、ある種の開き直り、希望と絶望のあいまの自分自身を肯定しているような感じを受けました。なかでもとくに気に入っていた一曲をとりあげてみたいと思います。


この曲は、ベルトンチェッリという当時の音楽評論家によるグッチーニへのきびしい批評に対する返答として、コンサート用の曲としてつくられたそうです。その後グッチーニはこの批評家を自宅にまねいて、「対決」が行われました。歌手と批評家のこの対決は、70年代という時代を考慮しなければ理解できないと指摘されています。のちにベルトンチェッリは、「アーティストに対してどうすべきか、それどころか、どう生きるべきかを教えてやろうなどというのは、あの時代の悪癖であった。私はみごとにそれにはまってしまっていたし、レーニン主義の紅衛兵*の情熱でそうしたものだ。」と書いて、グッチーニを酷評したことを悔悟したそうです。


つまり、レコードを売るようになって「ブルジョア(資本家、金持ち)になった」アーティストは、当時先鋭的な人々によって正しいとされた共産主義を信奉する人々によって攻撃されたというのです。「資本主義の犬め!」というわけですね。それに対して、グッチーニは自分は楽しみのために歌っているのであって、レコードなどは買ってくれなくても結構だし、あんたらの思想の歌い手になる気はない、というようなことを歌で返したのです。この歌の詩にベルトンチェッリの名前が書き込まれています。彼はグッチーニに会ったときに自分の名前を歌詞から削るようにと言いましたが、断られたため、今にいたるまで歌のなかにのこっているわけです。






アルバム「Via Paolo Fabbri 43」から 'L'avvelenata'



L'avvelenata 怒りの歌



そりゃ、まちがいを犯したのは認めるよ
『磔の刑』だのなんだのは受け入れるさ

父さんは、年金が大事なものだと言ってたが
結局のところ、それは正しかったとも言える

かあさんは学士号は歌手をやるより大事だと
言ってたけど、それもまちがいじゃなかった

若くて初心だったから、冷静さなんか失ってしまった
読んだ本のせいかもしれないし、偏狭だったのかもしれない

最悪の気分と、出世欲への非難、政治的無関心の恐れ
それだけが僕に残されたものだ


君ら批評家、いかめしい人々、厳格な活動家の諸君、
どうか許してくれたまえ

でも僕は歌で革命ができるとか、詩をつくれると言った覚えはない
僕は歌えるときに、歌いたいときに歌うだけで、拍手も嘲弄もいらない

売れるかどうかは僕の心配ごとのうちに入らない
レコードなんか買わないで、僕につばでもはきかけたらいい

一体何のために、ここでこうやってわざわざ歌ってると思う?
酔っ払ったり、オナニーしたり、少なくとも、セックスでもしたほうがずっと楽しい

機嫌のわるいときには自分らの惨めさを掘り下げて、歌を書く
ふだんは、もっとまじめなやることがある
瓦礫のうえで土工をやったり、自分の暮らしを立てることだ


(やつらに言わせると)
僕は、すべて、ゼロ、クソ野郎、酔っぱらい、詩人、ピエロ、
無政府主義者、ファシスト、金持ち、貧乏人、過激派、
変わりもの、一般人、黒人、ユダヤ人、共産主義者!

僕は、ホモ、歌でひっかけるナンパ師、嘘つき、正直者、天才、アホ、
僕は朝四時たったひとりここにいて、あるのは
不安な気持ちとワインと、神をののしる言葉を吐きたい欲望だけ

一体どういう理由で、酔狂な誰彼の話を聞かなきゃならないんだ?
医者は「あなたは鬱だ」とか言うけど、当たり前だろ
便所のなかにいても自分の時間がないんだから

いくらかの韻を使えるかどうかなんて
ゲームにすぎないとずっと言ってきたけど
しかしその遊びももうだいぶ重い暗い感じになった
おれの尻を買ってくれ、安くしとくから


同僚のシンガーソングライターたちよ、
何百万かで夜に自分を売る選ばれた者たち

有能な君らのポケットが一杯なのはいいことだ
根性だけ持ってても仕方がないさ。何を言ってあげられるかな?

行って歌えばいいのさ。知っての通り、
どっちにしても、しくじったミュージシャン、
信心屋、理論家、ベルトンチェッリ、お坊さん、
あいつらがいつでもそこにいて、くだらんことをぬかすのさ

もしこういうことを前からわかっていたとしても、
理由や動機を考えると、やっぱり同じようにすると思う

僕は歌をつくったりワインを飲むのが好きだし
大騒ぎするのも好きで、生まれつきバカなんだ

だから僕はこのまま続けるし、
やり方を変えるつもりはない

まだまだ聞きたいやつには、語ることが沢山ある
そのほかのことは、くそでもくらえってことだ!



L’Avvelenata


Ma se io avessi previsto tutto questo, dati causa e pretesto, le attuali conclusioni,
credete che per questi quattro soldi, questa gloria da stronzi, avrei scritto canzoni?

Vabbè, lo ammetto che mi son sbagliato e accetto il Crucifige e così sia.
Chiedo tempo, son della razza mia, per quanto grande sia, il primo che ha studiato.

Mio padre in fondo aveva anche ragione a dir che la pensione è davvero importante.
Mia madre non aveva poi sbagliato a dir che un laureato conta più di un cantante.

Giovane ingenuo, io ho perso la testa, sian stati i libri o il mio provincialismo,
e un cazzo in culo e accuse di arrivismo, dubbi di qualunquismo son quello che mi resta.


Voi critici, voi personaggi austeri, militanti severi chiedo scusa a Vossia.
Però non ho mai detto che a canzoni si fan rivoluzioni, si possa far poesia.

Io canto quando posso, come posso, quando ne ho voglia, senza applausi o fischi,
vendere o no non passa fra i miei rischi: non comprate i miei dischi e sputatemi addosso.

Secondo voi ma a me cosa mi frega di assumermi la bega di star quassù a cantare?
Godo molto di più nell'ubriacarmi oppure a masturbarmi o, al limite, a scopare.

Se son d'umore nero allora scrivo frugando dentro alle nostre miserie;
di solito ho da far cose più serie: costruir su macerie o mantenermi vivo.


Io tutti, io niente, io stronzo, io ubriacone, io poeta, io buffone, io anarchico, io fascista,
io ricco, io senza soldi, io radicale, io diverso ed io uguale, negro, ebreo, comunista!

Io frocio, io perché canto so imbarcare, io falso, io vero, io genio, io cretino,
io solo qui alle quattro del mattino, l'angoscia e un po' di vino, voglia di bestemmiare.

Secondo voi ma chi me lo fa fare di stare ad ascoltare chiunque ha un tiramento.
Ovvio, il medico dice: "sei depresso": nemmeno dentro al cesso possiedo un mio momento.

Ed io che ho sempre detto che era un gioco sapere usare o no d'un certo metro,
compagni, il gioco si fa peso e tetro: comprate il mio didietro, io lo vendo per poco.


Colleghi cantautori, eletta schiera che si vende alla sera per un po' di milioni:
voi che siete capaci fate bene aver le tasche piene e non solo i coglioni.

Che cosa posso dirvi? Andate e fate. Tanto ci sarà sempre, lo sapete,
un musico fallito, un pio, un teorete, un Bertoncelli o un prete a sparare cazzate.

Ma se io avessi previsto tutto questo, dati causa e pretesto, forse farei lo stesso.
Mi piace far canzoni e bere vino, mi piace far casino e poi sono nato fesso.

E quindi tiro avanti e non mi svesto dei panni che son solito portare.
Ho tante cose ancora da raccontare, per chi vuole ascoltare, e a culo tutto il resto!




翻訳 ITALOGOS


*紅衛兵 毛沢東を支持し文化大革命の担い手となった学生たち。このアルバムの発表される10年前の1966年につくられた組織でした。ちなみにアルバム発表の76年は毛沢東が亡くなり、文化大革命がおわった年でした。



           



付録・歴史覚書


1976年

・前年に終結したベトナム戦争の結果、やぶれたベトナム共和国(南ベトナム)が1976年、ベトナム民主共和国(北ベトナム)に統合され、現在のベトナム社会主義共和国が成立しました。

第一次天安門事件。76年4月5日、前日天安門前で周恩来首相を追悼してかかげられた花輪を当局が撤去したことに市民が抗議し、騒乱となりました。党中央により事件の黒幕とされた鄧小平は失脚しました。この年9月毛沢東が亡くなり、翌10月には北京政変がおこり、毛沢東夫人江青を中心として毛沢東体制をひきつぐ動きを示していた「四人組」が逮捕されました。のちに第一次天安門事件は革命的行動とよばれて評価が逆転し、1919年の抗日政治運動、五・四運動になぞらえ「四・五運動」とも呼ばれるようになりました。



           



https://significatotestocanzone.blogspot.com/2015/03/lavvelenata-francesco-guccini.html
https://www.fabiosroom.eu/it/canzoni/l-avvelenata/

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