2018年9月15日土曜日

ナブッコ Nabucco







グリフォン(ライオンとワシの合成獣)の浮き彫り
 アケメネス朝ペルシア・ダレイオス一世時代 紀元前510年頃 ルーブル美術館





ベルディのナブッコ



 先日フィレンツェにあるバー「ナブッコ」に行ってきました。そこで生演奏している方に誘われたのですが、なかなかおもしろい場所でした。店内は小奇麗で屋外の席もあり、壁にはアーティストさんの絵が展示されていました。

 バグパイプが演奏されたのはおどろきました。生で見たのははじめてです。アイルランドの民謡「ダニー・ボーイ」をやっていました。そのほか演奏していた歌はすべて英語で、外国人のお客さんを考慮した選曲のようでした。女性の弾き語りがありシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」などをやっていましたが、そのあたりの客層がやはり乗りがよかったです。



 
 「ナブッコ」は作曲家ジュゼッペ・ベルディがはじめて成功をおさめたオペラ作品の名前です。ナブッコはネブカドネザル二世のイタリアでの呼び方。新バビロニア王国の二代目の王で、紀元前6世紀の前半王位についていました。

 ネブカドネザルはユダ王国をほろぼし、前600年前後、数回にわたってユダヤ人をバビロンに強制移住させる「バビロン捕囚 Babylonian captivity」を行いました。旧約聖書を書くことになるユダヤ人の運命を大きく左右した人物だったわけです。



 英語でcaptiveといえば「囚われた」あるいは「囚人」のことですが、、イタリア語で「わるい」という言葉は同語源でcattivoカッティーヴォといいます。この言葉はラテン語のcaptivus diavoli(カプティウス・ディアウォリ)「悪魔に囚われた者」というキリスト教の表現に由来します。おもしろいですね。
 
 

 




新バビロニア王国 (前 625~539)
現在のイラク・シリア・ヨルダン・イスラエルと
シナイ半島の半ばまでのエジプトの範囲。

新バビロニアはオリエント全域を支配したアッシリア帝国
紀元前609年滅びたときに残った四王国時代(前525まで)の王国のひとつで、
その後オリエントを統一したペルシア帝国に滅ぼされました。





バビロン
図はハンムラビ王によって達成された
古バビロニア帝国 First Babylonian Empire の領土。
バビロンは空中庭園の伝説で知られ、
イラクの首都バグダードの南約90キロ、
ユーフラテス川沿岸にありました。

古バビロニアはヒッタイト帝国にほろぼされましたが、
その滅亡後オリエントを統一したアッシリア帝国をほろぼし、
新バビロニア帝国として四帝国時代に復活します。




後世に想像されたバビロンの空中庭園 
「世界の七不思議」のひとつで、諸説ありますが
一説によればネブカドネザル二世が故郷の景観を切望した
后のためにつくったといいます。






ナブッコとイタリア統一運動



 さて、ベルディによるオペラ「ナブッコ」は1842年の初演でしたが、その舞台スカラ座があるミラノは当時オーストリアの支配下にあり、観客はネブカドネザル二世に虐げられるユダヤ人に自らの運命を重ね合わせて熱狂したという言い伝えがあるそうです。


 この伝説は回顧的にさかのぼってつくられた可能性のある不確かなものであるようですが、いずれにしてもこのオペラ、なかんずく作中の合唱「行け、われらが思いよ」'Va, pensiero'は現代のイタリア人にとって思い入れの深いものになりました。


 当時オーストリア支配下にあったミラノやヴェネチアでは、「ヴェルディ万歳 'Viva Verdi'」という落書きには隠れた意味がありました。VERDIを'Vittorio Emanuele Re D'Italia'「イタリア王ヴィットリオ・エマヌエーレ」の頭文字として読む、イタリア国土回復・統一を祈願する愛国的な意味です。



 日本が明治維新で近代国家に生まれ変わったのは1868年ですが、イタリアの統一はその7年前の1861年になしとげられました。


 「ナブッコ」初演の6年後1848年は、フランスの「二月革命」やオーストリアの「ウィーン三月革命」、そしてそれに触発された東欧諸国の愛国運動「諸国民の春」の年として知られていますが、この年イタリアでは、北部を支配するオーストリアや、ブルボン家が支配する南部の両シチリア王国に対して独立戦争がはじまったのです。


 統一運動は第一次大戦後から続いていたのですが、この年から三次にわたるイタリア独立戦争がはじまり、第二次イタリア独立戦争により、ヴェネチアのあるヴェネト地方と、教皇領であったローマとを残して統一運動は達成され、1861年サルデーニャ王ヴィットリオ・エマヌエーレ二世がイタリア王として戴冠しました。




ヴィットリオ・エマヌエーレ二世の肖像






ゆけ、われらが思いよ
Va, Pensiero
訳・italogos


ゆけ、われらが思いよ、黄金の翼もて
祖国の甘美なる大気が
穏やかにやさしく薫る
なぞえや丘のうえに憩え

ヨルダン川のほとりに、

シオンの都の崩れ落ちた塔に
挨拶を送れ・・・
ああ、いとも美しき、失われた国土よ!
ああ、いとも愛しき、されどむごき思い出よ!

行末を見通す預言者の 黄金の竪琴よ
なぜに黙したまま 柳の木に掛かっているのか
胸のうちの思い出に 再び火を灯せよ
ありし昔のことを 語り聞かせよ

あるいは エルサレムの命運にも似た
痛ましい嘆きの音を 響かせよ
あるいは 主の霊感にみちびかれた響きで
くるしみのなかに 勇気を呼び覚ませ!


Va, pensiero, sull'ali dorate;

Va, ti posa sui clivi, sui colli,
Ove olezzano tepide e molli
L'aure dolci del suolo natal!


Del Giordano le rive saluta,
Di Sionne le torri atterrate...
Oh mia patria sì bella e perduta!
Oh membranza sì cara e fatal!


Arpa d'or dei fatidici vati,
Perché muta dal salice pendi?
Le memorie nel petto riaccendi,
Ci favella del tempo che fu!


O simile di Solima ai fati
Traggi un suono di crudo lamento,
O t'ispiri il Signore un concento
Che ne infonda al patire virtù!















              



 付録・歴史覚書



チグリス・ユーフラテスの位置関係は、『左からE.T.』でおぼえられます。(『E.T. the Extra-Terrestrial 』(E.T. 地球外生命体)はスピルバーグによる1982年の映画です。)バビロンはユーフラテス(E)川両沿岸をまたいでいました。バグダード市もやはりチグリス川(T)両岸に広がっています。

新バビロニア王国は「四王国時代」全体とおなじく、紀元前7から6世紀に百年たらず存続しただけでしたが、その前身である古バビロニア王国(あるいはバビロン第一王朝)は前1900年からおよそ300年間続きました。後者がほろびてから、およそ1000年後に前者が成立したことになります。古バビロニアは「目には目を、歯には歯を」の『復讐法』で有名なハンムラビ法典をつくったハンムラビ王のとき最盛期を迎えました。

・イタリアには2つの大きな離島があります。左向きの長靴の形をしたイタリアの左がわ上方にはフランス領のコルシカ島、ナポレオンの生まれ故郷ですが、この東がわには小さなエルバ島(イタリア領)があり、これはナポレオンが1815年百日天下で返り咲くまで一年弱流刑に処されていたところです。コルシカの下に大きなサルデーニャがあります。ここの方言はイタリア語とは異なる言語だと言われています。そこから南東、長靴が蹴り飛ばそうとしている石ころがシチリア島です。

・サルデーニャ王国はイタリア統一の主軸としての役割を果たしましたが、国際的政治力を増すために、トルコに侵略したロシアに対し英仏が宣戦したクリミア戦争(1853~56)にトルコ側で参戦しました。1853年は江戸にペリー提督の黒船が来航した年です。翌年の日米和親条約にもとづき、56年には初代総領事としてハリスが来日しています。










翻訳 ITALOGOS



画像ソース

https://www.louvre.fr/en/oeuvre-notices/frieze-griffins
https://en.wikipedia.org/wiki/Hanging_Gardens_of_Babylon#/media/File:Hanging_Gardens_of_Babylon.jpg
http://artmeup.org/painting/view/11864

本文・翻訳: ITALOGOS

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