「ピノキオ」の作者カルロ・コッローディがシャルル・ペローの童話集(1695)をイタリア語訳したもの(1875)を、本邦の児童文学者楠山正雄の和訳(1950)と対置しました。意訳がされている箇所は、できるだけコッローディ版にちかくなるようになおし、語学の助けになるようにしました。
その三・下
アンヌねえさまは、すぐ塔のてっぺんまであがって行きました。半分きちがいのようになった奥がたは、かわいそうに、しじゅう、さけびつづけていました。
「アンヌねえさま、アンヌねえさま、まだなにもこないの。」
すると、アンヌねえさまはいいました。
「日が
そのうちに青ひげが、大きな
「すぐおりてこい。おりてこないと、おれのほうからあがって行くぞ。」
「もうちょっと待ってください、
「アンヌねえさま、アンヌねえさま、まだなにも見えないの。」と、さけびました。
アンヌねえさまはこたえました。
「日が
「早くおりてこい。」と、青ひげはさけびました。「おりてこないと、あがって行くぞ。」
「今まいります。」と、奥がたはこたえました。
そうして、そのあとで、「アンヌねえさま、まだなにも見えないの。」と、さけびました。
「ああ。でも、大きな砂けむりが、こちらのほうにむかって、立っていますよ。」と、アンヌねえさまはこたえました。
「それはきっと、にいさまたちでしょう。」
「おやおや、そうではない。ひつじのむれですよ。」
「こら、おりてこないか、きさま。」と、青ひげはさけびました。
「今すぐに。」と、奥がたはいいました。そうして、そのあとで、「アンヌねえさま、アンヌねえさま、まだ、だあれもこなくって。」
「ああ、ふたり馬に乗った人がやってくるわ。けれど、まだずいぶん遠いのよ。」
「ああ、ありがたい。」と、奥がたは、うれしそうにいいました。「それこそ、にいさまたちですよ。わたし、にいさまたちに、いそいでくるように
La sorella Anna salì in cima alla torre e la povera sconsolata le gridava di tanto in tanto:
"Anna, Anna, sorella mia, non vedi tu apparir nessuno?".
"Non vedo altro che il sole che fiammeggia e l'erba che verdeggia."
Intanto Barba-blu, con un gran coltellaccio in mano, gridava con quanta ne aveva ne' polmoni:
"Scendi subito! o se no, salgo io".
"Un altro minuto, per carità" rispondeva la moglie.
E di nuovo si metteva a gridare con voce soffocata:
"Anna, Anna, sorella mia, non vedi tu apparir nessuno?".
"Non vedo altro che il sole che fiammeggia e l'erba che verdeggia."
"Spicciati a scendere", urlava Barba-blu, "o se no salgo io."
"Eccomi" rispondeva sua moglie; e daccapo a gridare:
"Anna, Anna, sorella mia, non vedi tu apparir nessuno?".
"Vedo" rispose la sorella Anna "vedo un gran polverone che viene verso questa parte..."
"Sono forse i miei fratelli? "
"Ohimè no, sorella mia: è un branco di montoni."
"Insomma vuoi scendere, sì o no?", urlava Barba-blu.
"Un'altro momentino" rispondeva la moglie: e tornava a gridare:
"Anna, Anna, sorella mia, non vedi tu apparir nessuno?".
"Vedo" ella rispose "due cavalieri che vengono in qua: ma sono ancora molto lontani."
"Sia ringraziato Iddio", aggiunse un minuto dopo, "sono proprio i nostri fratelli: io faccio loro tutti i segni che posso, perché si spiccino e arrivino presto."
語彙
・'Non vedi tu '現在の語感でいうと、tuはここに置かないのがふつうです。'Non vedi...'
・'Coltellaccio' というとかわいらしい感じですが、「大きな短刀」なので立派な武器です。
・ne'というneiの短縮法は現在使われません。
・spicciarsiは「いそぐ」という意味ですが、ナポリ方言などをのぞくと今は使われません。sbrigarsiが現在よく使われます。
・daccapoは「また」という意味ですが、現在はdi nuovoといいます。da capoという分けたかたちでは「はじめから」という意味で使われています。
そのとき、青ひげは、家ごとふるえるほどの大ごえでどなりました。奥がたは、しおしお、下へおりて行きました。涙をいっぱい目にためて、かみの毛を肩にたらして、
「今さらどうなるものか。」と、青ひげはあざわらいました。「はやく死ね。」
こういって、片手に、奥がたのかみの毛をつかみながら、片手で、
青ひげはこういって、剣をふりあげました。
「ならん、ならん。神さまにまかせてしまえ。」
そのとたん、おもての戸に、ドンと、はげしくぶつかる音がしたので、青ひげはおもわず、ぎょっとして手をとめました。とたんに、戸があいたとおもうと、すぐ
でもそのときには、もう奥がたも気が遠くなって、夫よりももっと死んだようになっていましたから、とても立ちあがって、
さて、青ひげには、あとつぎの子がありませんでしたから、その
世の夫婦がみな、そんなふうにしあわせでありますように。
妖精たちの時代までさかのぼるこのお話からわかることは、好奇心というものは、とくにあまりふかく追いかけるときには、えてしてわざわいを運んでくるものだということです。
Intanto Barba-blu si messe a gridare così forte, che fece tremare tutta la casa. La povera donna ebbe a scendere, e tutta scapigliata e piangente andò a gettarsi ai suoi piedi:
"Sono inutili i piagnistei", disse Barba-blu, "bisogna morire".
Quindi pigliandola con una mano per i capelli, e coll'altra alzando il coltellaccio per aria, era lì lì per tagliarle la testa.
La povera donna, voltandosi verso di lui e guardandolo cogli occhi morenti, gli chiese un ultimo istante per potersi raccogliere.
"No, no!", gridò l'altro, "raccomandati subito a Dio!", e alzando il braccio...
In quel punto fu bussato così forte alla porta di casa, che Barba-blu si arrestò tutt'a un tratto; e appena aperto, si videro entrare due cavalieri i quali, sfoderata la spada, si gettarono su Barba-blu. Esso li riconobbe subito per i fratelli di sua moglie, uno dragone e l'altro moschettiere, e per mettersi in salvo, si dette a fuggire. Ma i due fratelli lo inseguirono tanto a ridosso, che lo raggiunsero prima che potesse arrivare sul portico di casa. E costì colla spada lo passarono da parte a parte e lo lasciarono morto. La povera donna era quasi più morta di suo marito, e non aveva fiato di rizzarsi per andare ad abbracciare i suoi fratelli.
E perché Barba-blu non aveva eredi, la moglie sua rimase padrona di tutti i suoi beni: dei quali, ne dette una parte in dote alla sua sorella Anna, per maritarla con un gentiluomo, col quale da tanto tempo faceva all'amore: di un'altra se ne servì per comprare il grado di capitano ai suoi fratelli: e il resto lo tenne per sé, per maritarsi con un fior di galantuomo, che le fece dimenticare tutti i crepacuori che aveva sofferto con Barba-blu.
Così per tutti gli sposi.
Da questo racconto, che risale al tempo delle fate, si potrebbe imparare che la curiosità, massime quando è spinta troppo, spesso e volentieri ci porta addosso qualche malanno.
語彙
・si messe a gridare messeは遠過去三人称単数の現在使われていない形です。いまはmiseといいます。
・ebbe a scendere は「下りなくてはならなかった」の構文ですが(avere a verb.)今は使われません。英語のhave toに似ていますね。
・essere lì lì perは「まさに~しようとしている」という意味で、essere sul punto di, stare perといいかえることができます。
・piagnisteo/i は子供の泣き声、そこからまた「泣き言(ぐち)」の意味です。
・raccogliersi 「体を折り曲げる、身をかがめる」のほかに、「心を集中させる、没頭する(in-)の意味があり、用例としてはraccogliersi in preghiera「熱心に祈る」がよく揚げられます。このばあいもそうでしょう。青髭のこたえも、「ならん、いますぐ神にゆだねてしまえ!」です。
原文仏語のse recueillirには、もっとはっきりと、「(宗教的)瞑想をする=いのる」の意味があります。いずれにせよ基本的に仏語の場合「精神を集中させる」の意味なので、楠山氏の訳「身繕いをするあいだまってほしい」は誤りだと思われますし、それ以前にコッローディの伊語版とくいちがうので修正しました。
・di ridosso(di) (~の)近くに、背後に
・porticoは建築的な構造で、「円柱とそれにささえられた覆い」です。例えば米大統領官邸ホワイトハウスの前にある、ギリシア建築風の覆い部分がこれにあたります。
・costìはトスカーナ方言で、現在ではトスカーナ地方のほかでは使われず、costì「そこで」costà「あそこで」の代わりにそれぞれ、lìとlàが使われます。
・colla spadaのような前置詞と定冠詞の一体化したかたちはcolのほかは現在あまり使われません。一体化した形がほかの単語とおなじ綴になってまぎらわしいからであると説明されています(Corriere della Sera)。したがって現代語風にはcon la spadaです。
・lo lasciarono mortoは現代風の言い方ではありません。'lo uccisero e lasciarono a terra morto'というふうになるでしょう。
・おもしろいところは、コローディ版が「夫よりももっと死んだようになっていた」というイタリア風のおおげさな表現に変えているところです。原文では「まるで夫とおなじように、死んでしまったようだった」という文章で楠山もそのように訳しています。
・fare all'amoreという言い方は、50年代から60年代くらいまで使われたもので当時の映画のなかでよく使われています。婚約前の男女間の交際のことを指します。現代ではamoreggiareやflirtareが「つきあう」「いちゃつく」の意味でつかわれます。70年代ころからは、性行為のことを指すようになったそうですが、現在では代わりにfare l'amoreがその意味で使われます。
・fior di galantuomo 「紳士の鑑」の意味になります。fiore di...で「最善の~」の意味です。essere nel fiore degli anni青春の盛りに
・crepacuore ははげしい心痛、嘆きのことです。morire di crepacuore「悲嘆のあまり死ぬ」ansie心配、不安、terrore恐れと、このばあい言い換えられるでしょう。
・'così per tutti gli sposi' 原文にはふたつの教訓があり、第一が好奇心をいましめる教訓で、これは仏文・伊文・和文で内容が対応しています。ただしコローディ版の内容はかなり意訳的で、原文の「実例はいくらでも日毎にみられる」「ご夫人がたには失礼ながら」などのという言い回しがなく、原文にない「妖精たちの時代にさかのぼるこの物語」というせりふが入っています。楠山版は原文の最後の部分だけを訳してています。ここでは私がコローディ版を訳しました。'volentieri'はふつう「よろこんで」という意味で、ここでのように「容易に」という意味は稀です。
https://dizionari.repubblica.it/Italiano/V/volentieri.html
第ニのものはコッロディ版ではひどくみじかく要約されており、第一よりも前に書いてあります。「すべての夫婦がこのように幸福でありますように」という意味のようですが、あるいはオリジナルの挿入部分かもしれません。ペローの原文では「こんな恐ろしい夫がいたのは昔の時代のことで、現代ではどんなに嫉妬深くとも、声低く不平をもらすくらいのものです。だから髭が何色をしていようとも、夫と妻とどちらが主人かわからないくらいです」という内容になっています。
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